フランス 1810年 ナポレオン・ボナパルト/マリア・ルイーザ 婚姻記念 金メダル MS64(NGC)

フランス 1810年 ナポレオン・ボナパルト/マリア・ルイーザ 婚姻記念 金メダル MS64(NGC)

表面:皇帝ナポレオン・ボナパルトと妻マリア・ルイーザの刻印

裏面:2人の結婚式の様子
NAPOLEON EMP ET ROI(皇帝にして王たるナポレオン)
M,LOUISE D‘AUTRICHE(オーストリア皇女マリア・ルイーザ)


在位 1804年5月18日 - 1814年4月11日
在位 1815年3月20日 - 1815年6月22日
戴冠 1804年12月2日、パリ・ノートルダム大聖堂
出生 1769年8月15日
死去 1821年5月5日(51歳没)
1769年:地中海西部に浮かぶコルシカ半島の貴族階級の家に生まれたナポレオン。
1784年:フランス陸軍士官学校に入学し、通常4年かけて卒業する所を僅か11ヶ月で卒業。
1796年:27歳 イタリア遠征で劣勢と言われていた軍を率いてオーストリア軍を撃破。(この年の3月、ジョゼフィーヌと最初の結婚)
1798年:29歳 総司令官として戦艦13隻、54,000人の兵、1,200の馬、171の砲を引き連れてエジプト・カイロでピラミッドの戦い(VSオスマン帝国、イギリスとインドの貿易拠点であったエジプトを陥落させ、イギリスに打撃を与える為)に勝利。勝利から10日後、イギリス海軍がフランス海軍を破った事によりナポレオン率いるフランス軍はエジプトに孤立してしまう。加えてフランス本国が弱体化し、民衆から政府を糾弾する声が高まった事をを聞いたナポレオンは軍をエジプトに残し側近を連れてフランスに帰国。
1799年11月、フランス革命と呼ばれるクーデターを成功させ、自らを第一統領となり実質的な独裁権を握った。(このクーデターが失敗すれば、エジプトからの敵前逃亡、並びに国家反逆罪により処刑されていたという)
その後1804年、ノートルダム大聖堂にて皇帝戴冠式を行う。
この時教皇から冠を戴くというのが習わしであったが、彼はそれを無視し、自らの手で王冠を被ったという。
近代ヨーロッパにおいて、非常に大きな力を持った天才的な軍人・政治家であったナポレオン。
世界史の知識の有無に関わらず、彼の名前は聞いた事があるはず。
複数の記念金貨、メダルが発行されているが今回ご案内するのは2番目の妻マリア・ルイーズとの結婚記念金メダル。
マリア・ルイーザ

在位 1810年4月1日 - 1814年4月8日
出生 1791年12月12日
死去 1847年12月17日
オーストリア皇帝フランツ1世の娘であり、フランス皇帝ナポレオン1世の2番目の妻。
彼女はナポレオンの侵略により宮殿を追放された挙句「ナポレオンは恐ろしい男」と教育を受け、幼少期はナポレオンと名付けた人形をいじめていたという。ナポレオンが前妻のジョゼフィーヌと離婚したと聞いた時、彼女は友人に「次の妃となる方に心から同情すると共に、それが自分で無い事を願います」と手紙を書いた程であった。
始めは望まない結婚であったが次第に彼の紳士的な部分に心を許し始めていく。
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