世界のコインご紹介#88:「自由を取り戻したはずなのに」――カエサルを殺したブルータス、その2年後の最期

こんばんは。ユニバーサルコインの村田でございます。

前回はユリウス・カエサルとブルータス、そしてアウグストゥスの3枚の銀貨から、共和政ローマが帝政へ向かっていく時代をご紹介しました。

その中で登場したのが、カエサル暗殺の日「3月15日」を刻んだ有名なEID MARデナリウス銀貨です。


 
では、カエサルを殺したブルータスは、その後どうなったのでしょうか。

独裁者を倒した。これでローマに自由が戻る。
おそらくブルータスたちが描いていた未来は、そんなものだったはずです。
しかし現実は全く違いました。カエサル暗殺からわずか2年後、ブルータスは戦争に敗れ、自ら命を絶つことになります。

今回はコインを見ながら、「暗殺者ブルータス」ではなく、一人の人間としてのブルータス、そして盟友カッシウスが抱えた悩みを追ってみたいと思います。


ブルータスは、突然「自由」に目覚めたわけではなかった


まずご紹介したいのが、カエサル暗殺より約10年前、紀元前54年にブルータス自身が発行したデナリウス銀貨。

表面には「LIBERTAS(自由)」の文字とともに、自由を人格化した女神リベルタスの肖像。

裏面には、ブルータスが自らの祖先としたルキウス・ユニウス・ブルータスが、3人のリクトル(護衛)を伴って歩く姿が描かれています。

ルキウス・ユニウス・ブルータスは、紀元前509年にローマ最後の王を追放し、共和政成立に関わったと伝えられる人物です。つまりブルータスは、カエサルを暗殺する約10年前から、自分のコインに「自由」と「王を追放した祖先」というメッセージを刻んでいたのです。 


この祖先は、ローマ最後の王を追放し、共和政成立に関わった伝説的な人物です。
つまりブルータスは、カエサルを殺す10年も前から自分のコインに「自由」と「王を追放した祖先」を刻んでいました。

ここを知ると、ブルータスという人物の見え方が少し変わります。

彼にとって「王を許さない」「共和政を守る」という考え方は、単なる政治的スローガンではありませんでした。自分の家名そのものに結び付いた問題だったのです。

「祖先が王を追放して共和政を作った。その子孫である自分が、王のように振る舞うカエサルを許してよいのか」

そんな重圧を感じていたとしても不思議ではありません。

しかも話をさらに複雑にするのが、ブルータスとカエサルの関係です。

ブルータスは内戦で一度カエサルの敵側につきましたが、カエサルから赦免され、その後は政治的にも登用されています。

単純に「憎い独裁者を殺した」という話ではないのです。


自分を許し、出世の機会まで与えてくれた人物。しかし、その人物が自分の信じる共和政を壊そうとしているように見える。

個人的な恩義を取るのか、自分が信じてきた政治理念を取るのか。


ブルータス最大の悩みは、暗殺するずっと前から始まっていたのかもしれません。


カエサルを殺せば終わると思っていた。しかし、何も終わらなかった


紀元前44年3月15日、ブルータスやカッシウスらはカエサルを暗殺します。
ところが「独裁者を倒せば共和政が元に戻る」というほど、政治は単純ではありませんでした。

カエサルがいなくなった瞬間、その巨大な権力をめぐって再び争いが始まります。マルクス・アントニウス、そしてカエサルの遺言で養子・後継者となった若きオクタウィアヌスが台頭してきました。

ブルータスとカッシウスはローマを離れ、東方へ向かいます。

しかしここで新たな問題が出てきます。

戦うには「金」が必要です。

共和政を守りたい。自由を取り戻したい。いくら理想を掲げても、それだけでは数万人の兵士は動きません。給料を払い、食料を与え、武器を用意しなければならないのです。
そこでブルータスとカッシウスは東方で軍隊を集め、貨幣を発行し、戦争に必要な資金を確保していきます。


「自由」を刻んだカッシウスの銀貨


ここで2枚目のコインです。

ブルータスとともにカエサル暗殺を主導したガイウス・カッシウス・ロンギヌスが、内戦中に発行したデナリウス銀貨があります。

このコインにも、表面には自由の象徴の女神リベルタスが描かれています。
裏面には人物ではなく、オイノコエ(ワインを注ぐ壺とリトゥウス(占いに使用する杖)が描かれています。

銘文は「LENTVLVS / SPINT」で、この貨幣の発行に関わったプブリウス・レントゥルス・スピンテルを示します。

ブルータスも、カッシウスも、求めた物は自由。

彼らが何のために戦っているのかは、コインを見ればはっきり分かります。

しかし現実には、その「自由」を守るために軍隊を作り、都市から資金を集め、ときには武力で従わせなければならなかった。

ここにブルータスたちが抱えた大きな矛盾があります。

自分たちは独裁者からローマを解放したはずなのに、その自由を守るためには、自分たち自身も強大な軍事力を持たなければならない。

理想を実現するために、理想とは正反対に見えることまでしなければならない。
政治家ではなく一人の人間として考えると、かなり苦しい立場だったのではないでしょうか。

特にカッシウスは、ブルータスより現実的な人物だったとされています。理想だけでは戦争には勝てない。金も兵士も必要である。その現実を最もよく理解していた人物だったのでしょう。

そして、そのカッシウスに悲劇が訪れます。


一つの「勘違い」で命を絶ったカッシウス


紀元前42年、ブルータスとカッシウスの軍はマケドニアのフィリッピで、アントニウスとオクタウィアヌスの軍と激突します。

フィリッピの戦いです。

最初の戦いでは非常に奇妙なことが起きます。

ブルータス軍はオクタウィアヌス側の陣地を破り、一方でカッシウス軍はアントニウス軍に押されました。

つまり一方では勝ち、一方では負けていた。

当然、戦場は大混乱です。

現代のような無線も衛星通信もありません。煙と砂埃の中で、数万人が戦っています。指揮官でさえ、数km先で味方が勝っているのか負けているのか分かりません。

カッシウスは高所から戦況を確認しようとしますが、状況を正確に把握できませんでした。そして、自分たちは完全に敗北したと思い込んでしまいます。

古代史料によれば、カッシウスは仲間が敵に捕まったと誤認し、絶望して自ら命を絶ったと伝えられています。

ところが実際には、その仲間は捕虜になったのではなく、勝利の知らせを持って戻ってきていました。

あと少し待っていれば、もう少し正確な情報が届いていれば、カッシウスは死ななかったかもしれません。

世界史に名前を残すほどの人物であっても、最後の判断を左右したのは「情報が分からない」という、人間として極めて普通の不安だったのです。


カエサルを殺したのに、「カエサル」が追いかけてくる


そして3枚目にご紹介したいのが、若きオクタウィアヌスが発行した金貨です。
非常に面白いデザインで、片面には若きオクタウィアヌス、もう片面には亡くなったユリウス・カエサルの肖像が刻まれています。
 


オクタウィアヌスは、カエサルが暗殺された時まだ18歳でした。
ブルータスからすれば、自分はローマ最強の独裁者を倒したはずです。

ところがカエサルを殺しても、「カエサル」という名前は消えませんでした。
むしろ今度は18歳の若者がその名前を受け継ぎ、「私はカエサルの後継者だ」と名乗って現れたのです。

オクタウィアヌスの強みは、最初から巨大な軍事的実績があったことではありません。「カエサル」という名前でした。

ブルータスが祖先の名と「自由」を自分の正当性に使ったように、オクタウィアヌスも養父カエサルの名を自分の正当性に使った。

ブルータスはカエサルという人間を殺すことには成功しました。しかし「カエサル」というブランドを殺すことはできなかったのです。

私はここが、この物語で最も皮肉なところだと思います。


盟友を失ったブルータス


カッシウスを失ったブルータスは、それでも戦いを続けます。
しかし約3週間後、再びフィリッピで決戦が行われます。

今度はブルータス軍が敗れました。

共和政を守るという理想を掲げ、カエサルを殺し、ローマを離れ、東方で軍を集め、盟友カッシウスまで失った。

そして最後には、自分自身も敗北する。

逃れたブルータスは、周囲の仲間に自分を殺す手助けを頼んだと伝えられています。何人かは拒み、最終的には友人に剣を支えてもらい、自らその剣に身を投じたと古代史料は記しています。カエサル暗殺からわずか2年後のことでした。


ブルータスは、本当に「自由」を手に入れたのか

 

ブルータスについて考える時、簡単に「英雄」「裏切り者」「暗殺者」と決めつけることはできないと思います。

彼がカエサルを殺したことは事実です。

しかし彼自身は、自分がローマの自由を守っていると考えていた。
祖先は王を追放した人物。その家名を背負い、自分を厚遇したカエサルと対立し、それでも共和政を選んだ。

ところが暗殺後に彼を待っていたのは、自由ではありませんでした。

内戦、軍資金の確保、兵士への給与、都市との対立、盟友の死、そして自らの敗北。

「カエサルを殺せばすべて解決する」
そう考えていたかどうかは分かりません。しかし少なくとも、彼らが想像した未来とは全く違う世界になりました。

そして最大の皮肉は、ブルータスたちが共和政を守るためにカエサルを殺した結果、ローマが共和政へ戻るどころか、むしろ本格的な皇帝の時代へ向かっていったことです。
ブルータスを破ったオクタウィアヌスは、その後アウグストゥスとなり、初代ローマ皇帝としてローマを支配します。

前回ご紹介したEID MARには「自由を取り戻した」というブルータスの強烈な自信が刻まれていました。

しかし今回、その後の2年間を追ってみると、同じ人物が全く違って見えてきます。
コインに「LIBERTAS=自由」と刻むことはできても、現実の世界で自由を実現することは、それほど簡単ではなかった。

2000年前の政治家たちも、理想と現実の間で迷い、金に悩み、情報に翻弄され、人間関係に苦しみ、そして判断を誤った。

そう考えると、古代史が少し身近に感じられるのではないでしょうか。

そしてフィリッピでブルータスを破った二人、マルクス・アントニウスとオクタウィアヌスも、やがて互いに敵となります。

そこに現れる一人の女性が、クレオパトラ7世です。

この続きも、またコインを見ながらご紹介したいと思います。





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